寄稿集「日本とアメリカ:これからの150年」
楠本定平氏(ミノルタ・コーポレーション名誉会長)


ペリー艦隊が150年前に浦賀沖に現れて日本に開港を迫ったのは、今考えるとまことに絶妙なタイミングであったといえる。18世紀、英国に始まった欧米の産業革命は、農耕、手工業の社会を急速に工業社会に変えつつあり、これに乗り遅れた多くの国は欧米の植民地的存在にならざるを得なかった。ペリー艦隊の出現は、日本をして海外に目を向けさせることになり、硬直した徳川封建制度の崩壊をもたらし、明治維新による新中央政権ができるきっかけとなった。

ペリー艦隊出現以降の、当時の日本人の行動は日本の歴史2000年のうちでも最高の出来であった。新政府は政府の要人を含む岩倉欧米視察団を長期にわたって欧米に派遣し、欧米の制度を研究、吸収し、福沢諭吉のような啓蒙、教育者がアメリカのシステムを国民に紹介した。ペリー来航後、わずか30年で東洋の一小国だった日本は急速な近代化に成功し、日清、日露の戦争に勝って一等国に伍したのである。もしペリーの来航が30年遅れていたら、日本はどんなことになっていただろうと想像するだけでも戦慄を感じる。ペリー以降、アメリカは常に日本の先生役を勤めてくれた。これに反逆した太平洋戦争は日本にとって痛恨の失敗であったといえよう。世界でただ一つの超大国となったアメリカとの今後の付き合いは過去150年を振り返るだけでどうあるべきか自明のことである。

 

佐々木健ニ郎氏(美術評論家)

 安政元年(1854)、徳川幕府が黒船を率いる提督ペリーと神奈川条約を結んで以来、150年になる。余談ながら、その折、日本の旗印を決める必要に迫られ、日の丸に決めたと歴史の本にある。日米関係は友好状態あり、破局的事態ありと、激変を経験してきた。
 第二次大戦後、日本は極力、米国に協力する姿勢で難局を乗り越え、繁栄もしてきた。90年代の社会主義圏の実質的崩壊後、新しい日米関係が模索されているが、友好的なうちに21世紀に入ったといえるだろう。
 さて来る日米の150年となると、夢みたいな話であり、さし当たっては地球のリーダー米国に対し、日本は補助的役割に徹する、という時代が続くものと思われる。
 夢みたいと書いたので話を大きくしてみる。宇宙物理学者ホーキング博士は、このまま地球温暖化が進めば、あと千年で人類は滅亡と断言。それを防ぐには他の惑星に移住するしかないと言う。昨今の環境を考えると、千年も持たない気がする。そこで一刻も早く他の惑星(可能性として火星)へ移住するための、実際的行動を起こしておくことだ。そのための日米の共同研究等を本格化できると思う。
 人類はかつて、旧世界より大西洋を渡って新世界へ大移住した経験を持つ。次は宇宙の大航行を否応なしに迫られるときが来るだろう。その壮大な移住を実現するための日米協力、そんな空想をしている。夢はしぼむが、地球温暖化を防ぐよう米国に働きかけるのが先決か。

 

木村利三郎氏(画家)

「ART これからの150年」

 1964年、ぼくは誰一人知人もいないニューヨークへやって来た。150年前、ペリーが2隻の帆船と2隻の蒸気船に280門の大砲をつんで、東京湾にあらわれたのは1853年。当時、ぼくの祖先の一人は浦賀奉行所の下級役人だった。ぼくは日本にいたとき、アトリエでアメリカの水兵に絵を教えていた。ぼくとアメリカとの関係の原点がここらあたりにあった。
 あのバン・ゴッホは、この年1853年、オランダに生まれた。ゴッホの生涯は写実主義と印象派の中間点にあった。19世紀には多くの思想がヨーロッパを中心に生まれた。絵画の流れは、大河に注ぐ支流のように数多く、それがすべての世界の絵画をリードしていった。
 アメリカの絵画も勿論それにそっていったが、反発や影響をうけて新しいARTが生まれた。「私の絵画の原点は無意識だ」と言ったジャクソン・ポロック。「ぼくの躰の中にはなにかがある」と言ったゴッホ。両者には時代を越えた似たようなものがある。次の世代、アンディ・ウォホールは「今日は絵の時代ではない。TVやインターネットの時代だ」と言っている。
 150年の時間はARTにとって長い時間ではない。しかし現代の変化の速度は特別だ。例えば、今年のベネチア・ビエンナーレ展の主題は「夢と衝突」だが、遺伝子操作、幻想、欲望、夢でいっぱいだ。従来の絵画方式では表現できなくなりつつある。映像、音、コンピューターなどに頼っている。表現の多様化だ。
 これに対してアメリカARTの可能性は強いが、単一種の人類が地球という、共通単位からの発想行動は150年先にササヤカに存在するのか?いやそれ以前に消滅してしまっているのか、わからない。

 

河合 隼雄(文化庁長官)

日本と米国:これからの150年

150年先のことを論じるのは、私の能力をはるかに超えているので、近未来のことをイメージしながら考えてみたい。
日本はこれまでも、アメリカ文化の影響を強く受けてきたが、今後もこれはますます強くなることだろう。グローバリゼーションの力がこれを加速することだろう。
しかし、アメリカと日本の文化の差は本来的にはかなり深いものがある。それにもかかわらず、日本がアメリカ文化を吸収し、いわゆる先進国のなかで、日本のみが非キリスト教文化圏から仲間入りしているのは、奇跡に近いことである。
 近代ヨーロッパに生まれ、アメリカで頂点に達している文明は、今や世界を席捲していると思われる。しかし、日本は欧米の文明を取り入れつつ、日本の伝統的にもつ世界観を保持し続けることこそ、アメリカのよき隣人として存続し続けることができるであろう。 
 ただ、これまでの「和魂洋才」のような表面的な接触ではすまされず、日本とアメリカは、「魂」のレベルで衝突することになるだろう。この衝突は勝負を決めるためにするのではなく、そのなかから新しいものを生み出すものとして、受けとめてゆくことが必要であろう。
 これを単純な勝負事にすると、どちらが勝っても両者共に不幸なことになると思われる。
 

 

藤松忠夫(コラムニスト、元日本航空米州広報部長)

「日米関係これからの150年」

 150年前にジャンボ・ジェットやインターネットがあったとしたら、むろん黒船が日本に衝撃を与えることはなかったに違いない。だから、今後の150年を考えるにあたっては、文明的な与件を前提に考えざ るを得まい。
 マッハ20といった航空機ができても、そのことが歴史に与える影響はすくないが、広義のロボット技術の発達と、優れた翻訳ソフトを入れた情報システムの開発は、世界のグローバル・ビレジ化を大幅にすすめ るだろうし、国境の概念もしだいに希薄になり、日本とかアメリカといった意識もあまり問題にならなくな るのではないだろうか。
 22世紀の人間は、土木も農耕もロボットにとって代わられ、事務処理はコンピュータにとって代わられて、もっぱら文化をクリエイトすることに専念するようになるだろう。その生活ぶりは古代の遊牧民に似てくるのではないだろうか。むろん、22世紀のノーマッドはデジタルな情報機器に囲まれて移動を続けるだ ろうが。しかし、文化は伝統を必要とする。意外にも22世紀に東山文化が見直されているかもしれない。
 前提としては、ロボットにあらゆる労働をまかせて人間は悠々と暮らせるような、社会の「構造改革」が必要になる。