日米交流150周年記念シンポジウム
From Commodore Perry to Global Partnership In Commemoration of the 150th Anniversary of U.S.-Japan Relations
 2003年7月11日、ワシントンの日本大使館広報センターにて、日米交流150周年記念シンポジウム「From Commodore Perry to Global Partnership In Commemoration of the 150th Anniversary of U.S.-Japan Relations」が開催されました。当日は、トーマス・フォーリー前駐日大使より開会のご挨拶を頂き、加藤良三駐米大使が基調講演を行ないました。
 続いて第1のパネルとして、ジョン・ダワーMIT教授と北岡伸一東京大学教授により、「日米関係史再考:Reflection on the History of U.S.-Japan Relations」をテーマに討論が行なわれ、第2のパネルでは、ケント・カルダーSAIS教授、カート・キャンベルCSIS上級副所長、田中明彦東京大学教授により、「過去からの教訓−21世紀の日米関係展望:Lessons Learned: Prospects for U.S.-Japan relations in the 21st Century」と題して議論が展開されました。以下にその討論の概要を紹介いたします。
 
(1) 基調講演: 加藤駐米大使

(i) クロフォードにおいて、私は個人的に極めて親密、かつ相互の信頼感あふれる日米両首脳のやりとりを目撃した。しかし、日米の緊密な関係は、単に首脳同志の相性が良いということ以上のものがある。ブッシュ大統領は日本を最良の友人とよんだ。それは、日米両国が重要な価値を共有する民主主義国家であり、また冷戦という暗黒の時代を経て50年続いた同盟関係を有するからである。
(ii) 日本の過去の歴史を振り返るに、日本は何度か孤立(isolation)を経験した。最初の孤立を破ったのが、ペリー来航であり、これに引き続く明治維新は日本を近代的思考、西欧の慣習へと開放した。1930年代から1940年代の前半、日本は2度目の孤立を経験した。日本の軍国主義によるこの孤立は、第2次世界大戦での敗退により終わりを迎えた。戦後、日本は他の諸国との友好に努めたが、無意識に孤立した状況に陥ることになった。すなわち、日本は米国の同盟国ではあったが、世界的な安全保障の問題においては、長い間、サイドラインの外にいて積極的に関わってこなかった。これは大戦の惨禍の結果としての日本人の平和主義的志向に拠るところが大きい。
(iii) しかし、日本が世界の援助大国となるほどの経済規模を有するにいたって、そうした内向的思考(insular thinking)は許されなくなった。この12年間(とりわけ過去数年間)、日本はサポーターから、実際のプレイヤーとなっていった。1991年の湾岸への掃海艇の派遣、92年のカンボジアにおける国連平和維持活動への自衛隊の初の参加をはじめとして、モザンビーク、ゴラン高原、東チモールでの国連平和維持活動への参加、そしてこのたびの戦時下での派遣としては初めてのインド洋における自衛艦による連合艦船への給油作業である。ペリーの艦船の入港が日本の孤立を破ったように、対テロ連合の一環として外国水域に入った自衛艦は、別の意味での日本の孤立を破ったと言える。
(iv) 日本の孤立的思考を破ったもう一つの出来事として、1998年の北朝鮮によるテポドンミサイルの発射がある。北朝鮮問題に対しては、米国、韓国、日本、中国が協力として平和的解決をめざすことが重要である。平和的解決は決して平和主義的な解決ではなく、対話と圧力の適当なバランスのもとに北朝鮮の核放棄を求める平和攻勢アプローチ(agressive peace approach)である。
(v) アフガニスタン復興支援、対イラク戦争での支持表明とイラク復興支援、北朝鮮問題の解決と、日本は米国とともに世界の平和と安定のために積極的に協力する所存である。

 
(2) パネル1:日米関係史再考:「Reflection on the History of U.S.-Japan Relations」
(イ) John DowerMIT教授
(i)初期の日米の出会い、そしてその後の150年の歴史をどうとらえるか。「文明の衝突」といった考え方でなく、両者が並行して近代化を遂げた過程として、この過程を四つの側面からとらえてみたい。
(ii)第一に科学技術の側面である。米国の日本への接近の要因となったのは、米国の工業で必要な鯨油獲得のためであり、また蒸気船の発達(そのための補給・寄港の必要性)にあった。ペリーは幕府への献上品として、ミニチュア蒸気機関車、望遠鏡、カメラなどを持参したが、このことは日本が当時、科学技術的に米国にそれほど遅れていなかったことを意味する。科学技術は両国が近代化を歩む過程で、両国社会の文化の一部をなしていた。
(iii)第二に文化の相互作用の側面である。往々にして日本が西欧からの一方的な文化の受け取り手(日本の西欧化)であったと考えられがちだが、米国も東洋(アジア、日本)から多くを学んだ。この文化の相互作用は、19世紀中頃から現代にかけ特に美学、哲学の面で顕著であった。もっとも日本の場合、西欧化のプラスの面もマイナス面(帝国主義や植民地主義に見られる富や権力の追求等)も学んだといってよい。
(iv) 第三に、暴力の側面である。暴力の文化は近代化の持つ矛盾であるが、日米ともにこの文化に貢献した。大戦中の大量破壊兵器の使用、日本の帝国陸軍第731部隊による化学・生物兵器の開発等は、この暴力の文化への貢献の例である。他方大戦のとらえ方は日米で異なる。米にとって大戦は勝利の物語であるが、日本は原爆投下があったがゆえ被害者感情が強く、大戦は悲劇であり、戦争は悪いこと、武器に訴えることは悪いこととの訓戒を与えたものととらえている。
(v) 第四に、民主主義の側面である。日本も米国も、民主主義は長い、ゆっくりとした、また痛みを伴う闘いであった。ペリーの時代は、米国は未だ奴隷社会であり、真の民主主義は、第二次世界大戦後になって初めて現れたと言える。米国は何十年にもわたり市民権、女性の権利、人権について闘っており、民主主義は、生きた進化しつつある存在である。日本の民主主義も戦前からの長い闘争の結果であり、日本が戦後にいたるまで民主主義とはかけ離れた国であったとの認識は間違いである。米国は、戦後、日本のそれまでの基礎の上に民主主義を築いたにすぎない。今日の日本の課題は、日本が世界において何をなすべきか、また、現在の憲法をどうするかというものである。1950年以来米国は、日本に憲法第9条の改正を求めてきたが、日本はこれを維持することを欲した。第9条は日本人の意識の一部ともなっており、民主主義イコール平和、半軍国主義、ないし国連の下での活動といった図式が出来上がっている。このため、大量破壊兵器の拡散やおぞましい脅威に直面している現在の世界において、何が日本の果たすべき役割かについて日本人が踏み込んだ意見を言いにくくしている。

(ロ) 北岡伸一東京大学教授
(i) 初期50年間の日米関係は極めて良好であった。これは米国が良き教師であり、日本が良き生徒であったこと、日米の対中政策が門戸開放(すなわち中国分割反対)の点で一致していたことが理由としてあげられる。日露戦争で米国が日本の側についたのもこの門戸開放の理念と関係していた。すなわち、ロシアが勝利した場合、ロシアの対中軍事侵攻により中国が更に分断され、同地域における自由貿易が侵されるとの懸念が米国にあったためである。
(ii) 日露戦争後、日米関係は悪化し始めた。これは日本が南満州鉄道を通じて満州における権益(南満州鉄道)を独占し、21箇条要求により中国本土の権益を拡大し始めたからである。しかし、この関係悪化もワシントン会議での合意に見られるように、1920年代までは両国政治家の努力もありコントロール可能な状態にあった。1931年の満州事変に対しても米国の対応は遅かった。しかし、1938年、日本が門戸開放の理念を否定する東アジアでの新秩序構想を唱えるに至って米国は厳しい対応に出、これが戦争の理念上の出発点となった。
(iii) 日本の敗戦後再び日米の良好な関係がスタートした。敗戦により、日本は地理的拡張を通じた東アジアにおける地域的覇権の確立を断念し、かわって自由貿易主義を通じた資源の獲得により、世界第2位の経済大国へと発展を遂げた。1980年代、日本の経済が米国にとって脅威であった時に、大戦に勝ったのは結局日米いずれであったのかと問う者がいたが、勝利を収めたのは、結局米国の信奉する門戸開放の理念だった訳である。
(iv) 新憲法採択を経た後の日本の政治世界は、基本的に2つの陣営に分かれた。すなわち、平和主義的・社会主義的陣営と親西欧陣営である。政府は進歩的陣営に属していたが、平和主義的・社会主義的陣営の力は強く、国会で憲法改正を阻止する三分の一の議席を得ていた。しかし、いかなる国も自衛力なしに存続出来ない。それゆえ政府は、日本は防衛に限った最小限の自衛権を有することが出来るとの解釈をとったのである。冷戦終結に伴い、日本はその戦略的位置関係から本土防衛のみに集中していれば良い時代は終わり、地域的及び世界的な安全保障問題にもっと積極的に関わるべき時代に入った。
(v) 150年前の日本は十分にエネルギッシュな国であった。3000万人の人口を有し、識字率も世界的に非常に高いレベルにあった。この時米国は英、仏に対する挑戦者であったが、日本も挑戦者としての立場にあった。それゆえお互いに学ぼうという謙虚さがあったことを指摘したい。マンスフィールド元駐日大使は、日米関係を世界で比類なく重要な二国関係と述べた。英米関係も緊密な関係であるが、日米関係が英米関係と異なるのは、日米は異なる文化的背景をもちながらも、共通の価値観に基づき強固な関係を築き上げた点にある。

 
(3) パネル2:過去からの教訓−21世紀の日米関係展望:「Lessons Learned: Prospects for U.S.-Japan relations in the 21st Century」
(イ)Kent CalderSAIS教授
(i) 過去10年間、日本の政治は分裂し、このことが政策合意の実施や改革を難しくしている。しかしながら、リーダーシップ発揮の可能性はあり、ネットワーク形成も効果的であることから、努力し続ければ成功がもたらされるであろう。変革で重要なのは、社会において変革のインセンティブを探すことである。企業及び個人がいかなるインセンティブの構造を有しているかを理解することは、変革を達成する上で重要である。また、メディア及び一般大衆へのアウトリーチ努力は重要である。大衆や意思決定者により多くの情報を提供することがより良い状態をもたらす。
(ii) 世界の安全保障環境の変化がアジア及び同盟関係に与える影響を考えるに際し、グローバル化がいかに東アジア各国に異なった形で影響を与えたかについて考える必要がある。中国において変革の伝達媒体は、多国籍企業−すなわち多国籍企業による投資及び中国でのネットワーク形成であった。韓国においては、金融危機後IMFの圧力により急増した外国投資が、同国の政治経済のグローバル化を担った。日本の場合は、日本企業が海外に転出する形でグローバル化の影響を受けた。こうした構造的な違いはグローバル化への対応のスピードにも差異を生じ、日本の対応スピードが3カ国のうちで最も遅いものとなっている。このことは、今後何年間か、より広い太平洋地域での政治経済に影響を与えることになると思われる。
(iii) 中東は、アジアの、そして日米関係の将来にとり不確実な要素となっている。今後10年以内に中東の石油の75%がアジアに流れることが見込まれ、中東と東アジアの相互依存関係は高まっている。これは多くの意味を持つ。石油埋蔵国のビッグ3の一つであるイラクで変化が起こったことは、石油価格の取引や世界におけるロシアの役割といった点で重要な意味を持つ。米国は引き続きが中東において影響力を行使すべきである。朝鮮半島情勢は、来る10年の間に同盟関係に影響を与える大きな不確実的要素である。

(ロ) 田中明彦東京大学教授
(i) 日米関係は、冷戦終結以来最良の状態にある。ブッシュ大統領と小泉首相の個人的な関係は、1980年代のレーガン・中曽根の関係よりおそらく良いだろう。日本の経済状況は問題であるが、日米関係を緊張させる要因とはなっていない。しかし、日米関係が現在最適値にあると判断するには時期尚早である。なぜなら、現在の均衡を保っているのは、構造的な要因というより、偶発的な要因に拠っていると考えられるからである。つまり我々は、特にここ数年間、運に恵まれているのである。
(ii) この新しい均衡の偶発的な要因の第一は小泉首相である。彼は歴代の首相と大変異なる。取り立てて頭が良いわけでも大きな派閥のリーダーでもない。彼は率直に語る人物で、米国への支持という点で極めて明確だった。日本国内では大多数が対イラク戦争に反対していたが、小泉首相による米国への支持が彼の支持率を下げることはなかった。川口大臣の国会でのプレゼンテーションもうまく、このことも小泉首相を助けた。
(iii) 偶発的要因の第二は、日本経済の衰退である。これは、日本が脅威であるとの感覚を弱め、二国間関係の環境を改善することになった。しかしこのことは当然ながら同盟の強固な基盤となるものではない。
(iv) 偶発的要因の第三は、最近の東アジア情勢である。東アジアにおける脅威の増大は日本人に危機感を頂かせるのに十分で、国内での平和主義者の声はもはや聞こえない。特に現下の北朝鮮の脅威により、日本国民は米国との同盟を支持している。ただし、北朝鮮との戦争の可能性が高まるようなことがあれば、日本国内で意見はまた分かれるであろう。中国、韓国が日米の同盟関係を好意的に見ていることも環境改善の要因である。
(v) こうした要因は変わりやすく、逆に上記(iii)、(iv)の要因は日米関係を悪化させる可能性もはらんでいる。他方で、日米の二国間関係を高めている構造的要因もある。民主主義的価値の進展や両国間の人的、文化的交流の増大である。
(vi) 日本の課題は、今後も日米同盟を支持する優れた指導者を生み出す政治システムを育てていかなければならないということである。これは米についても同様である。

(ハ)Kurt Campbell CSIS上級副所長
(i) 同盟は、ボローニャ・ガラスに例えられる。非常に硬いガラスで少々のことではこわれないが、ここぞという場所をひっかいたなら、たちまちこわれてしまう。この10年間、日本自身が安全保障面でより積極的な役割を担うよう転換したことから、同盟はいまや非常に強固なものとなった。しかし、未来もこれを所与のものと考えることはできない。いくつかのひっかき傷が同盟を解体させてしまうことも有り得るからである。このひっかき傷は7つの分野で生じ得る。
(ii) 第一に、9.11以降の米国の変化の程度である。これは過少評価されるべきでない。テロとの戦いで日本は明確に米国への支持を表明したが、日本は東南アジア諸国と異なり、自国内でのテロとの戦いや政治紛争の経験がない。そのような日本が、今後もテロとの戦いを強力に進める米国との間で、安全保障面で引き続き同波長を維持していくことができるだろうか。この点は日米同盟の存続にも関わる問題である。
(iii) 第二に、日本との関係で政治的な象徴となるもの(たとえば大統領が中国訪問の後に日本を訪問してよいか等)について、いかに米国が注意を払い、慎重に処理するかである。このことは、日本人の米国との同盟に関する見方を左右することになる。
(iv)第三に、日米の戦略的協力の度合いである。過去数年間は大変良好だった。しかし、もし日本経済の衰退が長期間続くならば、日本が安全保障面で適切な戦略的協力を維持していく能力にも影響が及ぶことを懸念する。
(v) 第四に、政府間のオペレーショナルなレベルでの綿密な協議及び対話の程度である。自分の政府在職中の経験からするとこれがあまり行われていない。とりわけ米国が基地の見直しを行っている中にあって、そうした協議、対話は重要である。両首脳の関係が良いというだけでは十分でない。
(vi) 第五に、対中国、対台湾政策に関する日米の協議と対話の程度である。この問題について、実際日米間で殆ど話し合いが行われていない。この問題で日米が協調しなければ、困難な局面を迎えると考える。
(vii) 第六に、北朝鮮関係である。北朝鮮は、共同で臨んでくる日、米、韓の間にくさびを打ち込もうとするであろう。日本にとっても米国にとっても確保すべき最低線は、問題の平和的解決であり、戦争に陥ることはその犠牲の規模に鑑み、絶対に避けなければいけない選択肢である。我々が北朝鮮問題に真剣であること、北朝鮮は潜在的には国際社会に入る意志があるとの命題を検証する必要があること、もしこれが失敗すればより難しい選択をとらなければいけないことを、日本、韓国に納得させる必要がある。
(viii) 第七に、日本の米軍基地の取り扱いには最大の注意を要するとの点である。現在行われつつある日本及び韓国における駐留米軍の兵力構成の変更は、過去50年間で最も重要なものであるが、この問題ついて米国は日本と緊密に協議を行うのみならず、日本国民に納得出来る説明を行っていくべきである。