6.ワシントン記念塔と日本の石
 
 ワシントンD.C.を訪問された方ならホワイトハウス、リンカーン記念堂、連邦議会などアメリカの歴史的な建物が建ち並ぶ一画で、ひときわ高いオベリスク様式のワシントン・モニュメント(記念塔)をご覧にならない人はいないと思います。そして、エレベーターで展望室まで上られた方も多いのではないかと思います。しかし、あの塔の中にペリー艦隊が日本から持ち帰った石がはめ込まれていることをご存じの方はあまりいないと思います。

函館、下田、沖縄の石
 遠征記によるとアメリカ艦隊が函館を去る際、日米間で贈り物の交換が行われましたが、日本側の贈り物の中にワシントン記念塔のための花崗岩石材があり、下田でも日本側から同記念塔用に石材を贈呈されています。更に、沖縄では執政からも石材がペリー提督に贈られています。
 ペリー艦隊が日本に来た頃、アメリカでは初代大統領ジョージ・ワシントンの偉業をたたえるための記念塔が建設中で、記念塔の吹き抜け部分の内部の壁には世界中から贈られた石がはめ込まれることになっていたようです。

下田の石がはめ込まれる
 その後の関係者の調査では、実際にはめ込まれたのは下田の石だけだったようです。この石は、約90センチ四方で、記念塔の西面、下から65メートルの位置にあり、「嘉永甲寅のとし五月伊豆の国下田より出す」と刻まれ、いまでも見られます(静岡県立図書館調べ)。

100年後にはめ込まれた琉球のトラバーチン
 記念塔の建設は政治的な問題と南北戦争のために20年間も中断しました。1876年に建設が再開され、1888年に完成し一般公開されましたが、琉球から贈られた石は、記念塔にははめ込まれていませんでした。琉球の石は、アメリカの人々の興味を引く面白い石だったために、2、3年間スミソニアン博物館に展示した後に、記念塔にはめ込まれることになっていましたが、博物館が石を返そうとした時、当時の記念塔管理者がそれを拒否しました。琉球から贈られた石がその後どうなったかは不明のようです。そのような歴史の中、1989年、記念塔公開から約百年の後、沖縄から琉球トラバーチンの石が献呈され、記念塔にはめ込まれました(沖縄県立開邦高校の仲吉訓子教諭の報告より)。
 残念ながら、函館から持ち帰られた石の行方についての情報はありません。