遣米使節団

日本初の公式ミッション
 1860年、幕府は、タウンゼント・ハリス初代駐日領事の勧めもあり、日米条約の批准書の交換のため正使新見豊前守正興、副使村垣淡路守範正、目付小栗豊後守忠順の3人を使節として正式にアメリカに派遣しました。この使節はアメリカ政府が提供した軍艦ポーハタン(日本来航時のペリー提督の旗艦)に乗船しました。更に、日本人にはなじみの深い咸臨丸がサンフランシスコまで護衛、遠洋実習のため随伴しましたが、船長は幕末の立役者の一人勝海舟、そして福沢諭吉、ジョン万次郎など歴史に名を残す人物も乗船していたのです。

 


ペリー艦隊はアメリカ西海岸から出てアフリカ、インド洋を経由して日本に来航しましたが、幕府ミッションは太平洋を横断し、サンフランシスコ、パナマ地峡(鉄道)、カリブ海、アメリカ東海岸という反対方向の経路をとりました。
 帰路は、6月20日、アメリカの軍艦ナイアガラでニューヨークを出港、大西洋を横断し、アフリカ喜望峰経由で帰国しました。これにより、幕府使節は地球を一周をして日本に帰国したことになります。