ニューヨークに住んだペリー提督

 ペリー提督はニューポートに生まれ、14歳で米国海軍に入隊して以来、米英戦争などで活躍し、その後西アフリカやカリブ、地中海、メキシコ等を航海して海軍での業績を積んでいきます。1814年にニューヨークの裕福な貿易商かつ銀行家の娘であるジェーン・スライデルと、ブロードウェーの10丁目にあるグレース教会で結婚しました。そして航海に出ないときは殆どマンハッタンの自宅で過ごしました。
 1833〜43年にかけて、ペリー提督はブルックリンの海軍工廠に配属され、新兵の募集や海軍士官の教育に従事しました。この頃、一家はスプリング・ストリートの95番地に住んでいました。
 1853〜54年の日本への遠征後、ペリー提督は海軍顧問を務めましたが、再び航海に出ることはなく、マンハッタンの32丁目ウェスト38番地に住んで、3巻におよぶ「日本遠征記」を執筆しました。しかしペリー提督の体は長い航海のため害されており、日本から帰国してわずか4年後の1858年3月4日、風邪をこじらせたことがきっかけで、亡くなりました。
 ペリー提督は生前、自らの故郷であるロードアイランド州ニューポートに埋葬してほしいとの遺言を残していましたが、悪天候のため遺体を運べず、一時的にイースト・ビレッジにあるセント・マークス教会のスライデル家(夫人の家族)の墓所に埋葬されました。その8年後、ようやくニューポートに移されました。
 セント・マークス教会は1799年に完成し、19世紀前半のニューヨークの富裕層の家族の墓が多数あります。ペリー提督が最初に埋葬されたスライデル家の墓は、教会の西側の美しい庭園の遊歩道にあり、石版には「Commodore Matthew Galbraith Perry 1794-1858」の文字が今でもはっきりと読み取ることができます。