お雇外国人の活躍

クラーク博士

ウイリアム・スミス・クラーク
北海道開拓に必要な人材を育成する目的で設立された札幌農学校(現在の北海道大学)に教頭として招かれたのが、マサチューセッツ農科大学(現在のアマースト大学)の学長であったWSクラーク博士です。札幌農学校では農業科目に限らず全人格的な教育が行われ、後の逸材を多数輩出しました。クラーク博士の札幌滞在は僅か8ヶ月でしたが、内村鑑三、新渡戸稲造、志賀直哉、ハーバード大学で博士号を取得した宮部金吾など多くの人材育成に貢献しています。ちなみに外国人教授を探していた森有礼駐米公使にクラーク博士を紹介したのが、当時アマースト大学に留学していた新島襄です。1877年に札幌農学校を去ったクラーク博士は、帰米前に京都に立ち寄り、学校創設に奔走する新島を励ましています。

ヘボン博士

ジェイムス・カーティス・ヘップバーン 
ペンシルバニア州出身の眼科医ヘップバーン博士は、1859年に訪日すると無料で目の診療を行うとともに熱心な宣教活動行いました。宣教するために辞書が必要であることを痛感した彼は自ら英和辞書を編纂し、ここで使われた日本語のアルファベット表記方法がヘボン式ローマ字(当時の日本人にはヘップバーンがヘボンに聞こえたようです)として現在も使われています。ヘップバーン博士は晩年には明治学院の設立に尽力し、初代学院長となります。

モース博士

エドワード・シルベスター・モース 
1877年に海洋生物研究のため、東京大学教授として来日したモース博士はわずか2年の間に、近代動物学の導入、東京大学生物学会(現日本動物学会)の創設、大森貝塚の発見・発掘で日本の考古学・人類学の幕を開きました。また、日本美術に魅了されたモース博士はフェノロサをはじめとする多くのアメリカ人に訪日を勧め、日本美術の海外での紹介に貢献しました。自ら収集した膨大な日本の美術品や民俗資料はボストン美術館とボストン近郊のセイラム・ピーボディ博物館等に収蔵されています。