遣米使節団

小栗上野介・・・一本のネジ

使節には、作家司馬遼太郎氏が著書「明治という国家」の中で、「明治の父」と呼んだ小栗豊後守(のち上野介)がいました。激動の幕末、幕府が滅びるのを十分承知の上で、改革を断行し、非業の最期を遂げた幕府の俊秀でした。小栗は日本の将来への不安を抱き、近代化のための幕府大改革に取り組みましたが、このような熱い思いを抱かせたのは、若き小栗がアメリカで見た西洋文明の驚くべき技術、工業力だったのです。
 小栗は、パナマ地峡を鉄道で横断する時、鉄道建設費用の調達方法から株式会社の仕組みを理解し、ワシントン海軍造船所の姿に驚嘆し、アメリカから一本のネジを持ち帰りました。このネジが技術と近代工業のシンボルだったのです。小栗は後に幕府財政破綻の中、反対を押し切り、巨額の予算を要する横須賀造船所を建設しました。彼は「あのドックができあがった上は、たとえ幕府が亡んでも"土蔵付き売家"という名誉を残すでしょう。」と言い、これが次の時代に大いに役立つことを知っていました。これが若き小栗のアメリカ訪問が産んだ結晶の一つであると言われています。