平成21年春の外国人叙勲について (セツコ・マツナガ・ニシ氏)
2008年4月28日
日本国政府は、4月29日に平成21年春の叙勲受章者(全外国人70名、うち米国13名)の発表を予定しており、当館管内では日系2世でニューヨーク市立大学名誉教授のセツコ・マツナガ・ニシ氏に旭日中授章が授章されることになりました。ニシ氏への勲章の授与を以下の通り行います。
叙勲伝達式
- 旭日中綬章 The Order of the Rising Sun, Gold Rays with Neck Ribbon
- セツコ・マツナガ・ニシ氏 (Setsuko Matsunaga Nishi、米国人、女性)
- ニューヨーク市立大学ブルックリン校及び大学院センター名誉教授
- ニューヨーク・アジア系アメリカ人連盟初代会長
- 日時:6月5日(金)午後5時30分〜6時
- 場所:在NY総領事公邸
ニシ氏の功績概要は以下の通りです。
功績概要
主要経歴
同氏は、大戦中の日系人強制収容所収容を経て、シカゴにて、昭和20年より日系人再定住委員会書記兼理事を務める傍ら、反人種差別のための諸活動に従事し、シカゴ大学にて日系人を主とするマイノリティ社会の研究を修めた(昭和38年博士号)。ニューヨークに移住後は、昭和40年から平成11年までニューヨーク市立大学ブルックリン・カレッジ社会学部及び同大学大学院センターで教鞭を執った。その間、フロリダの空軍基地及び在欧州米軍の軍内人種問題コンサルタント(昭和51年、53年)、ユネスコ人種差別撤廃宣言ドラフティングの政府間会合米代表団(昭和53年)、米下院議会の戦時収容委員会コンサルタント(昭和57年)、東京都立大学社会学大学院客員教授(昭和60年〜61年)、全米日系人博物館全国学識者諮問評議員(平成2年〜)、同博物館ニューヨーク諮問評議会会員(平成4年〜16年)などを勤めた。さらに、昭和49年から平成18年の長きに亘り連邦公民権委員会ニューヨーク州諮問委員会委員を務め、そのうち平成2年から平成8年には会長を勤めた。また、平成2年には、日系人を含むアジア系アメリカ人の福祉向上のために、ニューヨーク・アジア系アメリカ人連盟を創設し平成7年まで初代会長を勤め、その後は名誉会長兼理事として現在も活躍している。同人はさらに、ニューヨーク市立大学を退官した平成11年以降現在に至るまで、同大学名誉教授として、戦後の日系人に関する全国的な調査研究を主宰している。
対日功績
同氏は、20代から米寿を迎える今日に至るまで、実に60年を越える長きに亘り、日系人の福祉向上活動、公民権促進及び社会学的研究の発展のために貢献している。
- (1)日系人の福祉向上と公民権促進
同氏が共同創設し初代会長を勤めた、ニューヨーク・アジア系アメリカ人連盟は、日系を含むアジア系アメリカ人の福祉向上を目指しており、その活躍によって、今日までにニューヨークの在留邦人及び日系アメリカ人の多くが無料の福祉サービスを享受している。同氏はまた、終戦前後から米中西部各地住民に対して解放日系人の受け入れを訴える演説を350回以上も行うとともに、父親や義兄らと共にシカゴ再定住委員会の立ち上げに尽力するなど、米中西部の解放日系人の再定住実現と福祉向上のために奔走した。その後もシカゴ及びニューヨークにおいて、社会学者としての見識を活かし、全米日系人市民連盟(JACL)等様々な市民権団体の活動に協力した。
- (2)日系人社会の社会学研究の発展
同氏は終戦直前に特別に出所と就学を認められ、収容所内で目の当たりにした日系人の活動や、戦後に自らが携わった、シカゴにおける解放日系人社会の再結成等を研究対象とした。このような戦時・戦後直後の日系人社会に関する研究は非常に希少で価値の高い研究として評価されている。ニューヨークに移住した後もニューヨーク市立大学にて日系人を始めとするマイノリティ・コミュニティの社会学研究を続けた。右研究成果は、国際機関、米国政府・議会、地方自治体、民間企業による日系人その他のアジア系及びアフリカ系マイノリティや、女性・子ども・老人への制度的差別撤廃、市民権促進、福祉向上のための政策に応用され、日系人社会学の実社会への応用的発展にも貢献した。同氏はまた、同大学にアジア系アメリカ人研究センターを開設し、日本の東京都立大学との社会学教員交流プログラムを立ち上げるなど、日系人研究の後進の育成と日本の社会学発展にも尽力した。同氏はまた、全米日系人博物館の日系人に関する学問的資料集積と分析の推進に貢献している。同氏はさらに、大学退官後の現在もなお、強制収容所経験が日系人に与える長期的心理的影響に関する全国的な調査研究を主宰している。