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Sanuki-Udon in U.S.A,

JAPAN SOCIETY OF
FAIRFIELD COUBTY(CT)
副会長 上住 のぼる

うどん打ちの実演 末澤先生、森角先生  

 恒例となっているJapan Society of Fairfield County(コネチカット州)の「お正月パ−ティ」は、1月25日(2004)New Canaan <同州の田園都市> の日本レストラン「Plum Tree」で行われました。

 この「お正月パ−ティ」(Oshogatsu Party)は、新年を祝い、メンバーの懇親を深めるのが目的で、例年、レストランで和風の食事をしながら行われています。

 今年は雪が多く、二、三日前に降った雪がまだ地表を覆っていましたが、この日は低気温ながらも雪の気配はなく薄日が射す穏やかな日で、出席者の出足も好調でした。

 正午に開場、次々にメンバ−が集まって来ます。久し振りに顔を合わす仲間が集まり、あちこちでグラス片手に談笑の輪が出来ました。

12時45分、会長 Nina Streitfeld さんの挨拶でスタート。 来賓のニューヨーク日本総領事館、越川広報センター長の祝辞のあと、私が指名されて乾杯の音頭をとりました。 例年、「乾杯」の音頭は、この会の長老、アドバイザーのドクター富川が取られるのですが、ご都合でこの日は欠席。 副会長の私にお鉢が回ってきました。

 たまたま会場が「Plum Tree」という名前のレストランであった事から、それに関連つけて「梅一輪、一輪程の暖かさ」の俳句を引き合いに出し、「今は寒いが、もうすぐ春、やがて暖かい春がきます。」というようなスピ−チをしましたが、 同時通訳をしてくれた女婿のウイトリー君の俳句の訳が素晴らしかったと拍手喝采を受けました。

 食事はPlum Treeのオ−ナ−、永田さん肝煎りのおせち風の料理でしたが、正月らしい盛り付けで雰囲気を盛り上げ、従業員もキビキビとサービスしてくれました。

 食事のあと、大西鏡子さん(メンバー)に日本舞踊を習っている、二人の女の子、Alice McDonaldちゃん(8歳)とSara Martelliちゃん(7 歳)の踊りがありました。可愛らしく着物を着て優雅に舞いました。

日本舞踊Alice McDonaldさん
日本舞踊 Sarah Martelliさん

 引き続き、この日のメインイベント「讃岐手打ちうどん」の実演です。

 これについては、少し精しく書きましょう。

 昨年、10月中旬頃、会長のNinaさんから「来年の新年パーティのEntertainmentを考えておいて欲しい」という話がありました。 ここ数年、この会では私が演し物を企画して実施するようになっています。
今迄もニューヨーク 雅楽グループ(7人)の演奏(2000)、琴と尺八(岩崎ご夫妻)の演奏(2001)、紙芝居「野島淳三物語」の披露(2002)、岡幹子さんの剣舞(2003)と続けてきました。 今回も何か、考えなければなりません。
 それより以前に、親しくしているグリニッチ日本人学校の吉田校長から、「日本人学校の派遣教員の末澤先生は香川県出身で、うどん打ちが得意」と聞いていたので、それを新年会で披露して貰ったらと考え、早速末澤先生に会って趣旨を説明して出演をお願いした所、OKとなりました。更に精しく話を伺うと、末澤先生は 讃岐うどんの本場、四国高松市に隣接する国分寺町出身、しかも実家がうどんの製造、卸しを業としているといいます。小さい時からうどん打ちを見て育ち、小中学生の頃には自分でも打っていたというから根っからのうどん職人、プロです。 うどん職人が教師になったのであって、教師になってからうどん打ちをやったのではない。 めん棒なども日本から数本持参されているといいます。 

 アメリカの土地で本式の「讃岐うどん」を作るのですから、準備が大変。一番の問題ほ「粉」ですが、「蛇の道はヘビ」で末澤先生のル−トで、日本国産の「うどん用中力粉」が10キロ手に入りました。 これは、マンハッタンW55丁目にある、「日本レストラン・鬼が島」から特別に分けて貰ったものだそうで、このレストランは店内で、手打ちうどんを作って提供する事で知られています。

 本番一週間前の日曜日、「Plum Tree」へ末澤先生と一緒に下見と打ち合わせに行きました。 机の配置、湯がくタイミングなど、担当の奥谷マネージャー(女性)と話合いました。 また、うどんを練る時に使う大きなマナ板?、うどんを切る幅広の包丁はレストランのを借りるなど、全面的に協力してくれる事になりまた。

 当日、末澤先生は鮮やかに「めん棒」を操りました。 正に「操る」というに相応しい「めん棒捌き」で、その軽やかな所作は芸術的とさえいえました。  「粉」と「10%の塩水」を交ぜ、力強く練る所から始まり、前日から家で寝かして持参された、1キロずつの生地(固まり)を次々延ばし、畳み、それを、当日アシスタントを務められた日本人学校で同僚の森角先生が素早く刻みますと、忽ち、生うどんの山が出来上がりました。

 アメリカ人の観客にとっては始めて見る「うどん打ち」で、とても興味深かそうでした。 後半には、側に来て生地に触ったり、中には、「うどん切り」に挑戦する人もありました。 

 ある程度、生うどんが貯まった所で、それを調理場に運び、約15分間湯がき、小さな椀に分けて「出し汁」をかけ、客に供されました。、 始めてうどんを食べた外国人も少なくはなく、箸を使って珍しそうに食べていました。

 私も一椀貰い、食べてみましたが、さすが、職人?が打った「手打ちうどん」、透明感とシコシコとした、所謂 腰があり、「これぞ、本場の讃岐うどん」の感がしました。

 調理場で湯がいている間も、うどん作りは続けられ、うどんの由来やエピソ−ド、うどんの食べ方、マナーなど、話が弾みました。

 当日出席者は、約80人で、6:4程の割合でアメリカ人が多かったのですが、あちこちで日本人が同じテーブルのアメリカ人に説明している姿が見受けられました。 日本人なら誰でもといってよい程、「うどん」についての知識や経験がある筈で、説明にも力が入ります。 アメリカ人も熱心に耳を傾けていました。

 そんな姿を見てると、「うどん打ち」が、日米コミュニケーションに一役を果たしているようで、この企画は成功と言ってもよいのではないかと思いました。

 翌日のローカル新聞には大きな写真入りで、当日の模様が精しく報道されていました。
 

 
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