去る2月23日(月)、総領事公邸において、日米交流150周年及び日本協会公演部50周年を記念して、NYフィル元常任指揮者で同フィル初の名誉音楽監督のタイトルを授与されたクルト・マズアさんと、そのご夫人でソプラノ歌手であるマズア偕子さんによるサロンコンサートが開かれました。
コンサートでは、クルト・マズアさんのピアノの伴奏により偕子さんが「待ちぼうけ」など山田耕作ら日本を代表する作曲家の名曲を歌い、出席者一同、マズア夫妻の情緒豊かな演奏に聞き入っていました。コンサート後も招待客と気さくに歓談や写真撮影に応じるなど素顔のマズア夫妻に触れることのできた貴重な機会となりました。
コンサートには、日本協会の公演部をサポートしてきた日米双方の代表ら約80名が出席しました。出席者の一人で現在ニューヨーク・シティ・オペラ(NYCO)で初の日本人指揮者として活躍中の山田敦さんのコメントを以下にご紹介します。

マエストロ、クルト・マズアさんとお会いして・・・
ニューヨーク・シティ・オペラ 音楽監督助手・指揮者 山田 敦
本当のマエストロは、やはり凄いな、と思ったのは!部屋にマエストロ・クルト・マズアさんが入ったとたんに部屋の雰囲気がかわるのを感じた瞬間でした。あの人と自分が同じ職業をしているというのは誠に失礼なほど・・。それは"カリスマ"ということばでは表せない、"暖かく""大きく"そして"厳格な"エネルギーだったと思います。
そして、ステージやCDのジャケットで「指揮者」として認識しているあの「クルト・マズア」が奥様の伴奏者として、ピアノを弾き、その曲が、山田耕作、中田喜直であったのは、なんとも貴重な瞬間に居合わせることができ、ほんの20分程度の時間が、別次元での出来事のような一瞬でした。日本で山田耕作さんのオペラ「黒船」の初演の現場で働いたことのある私は、「日本に西洋音楽の灯をともした作曲家・山田耕作は、2004年になって,世界の巨匠クルト・マズアさんが自分の歌曲の伴奏をすることなど,到底知らなかったのだろうな・・。」と非常に複雑ながら、深い気持ちになってもいました。
演奏が終わり、マエストロの前で「NYCOの指揮者の山田 敦です。」といった自分は,言ってから、もう穴にでも入りたい気持ちでしたが、マエストロはとても暖かく、和やかに、「今度のステージのときには案内してください。頑張ってくださいね」と励ましていただき、「どのようにご連絡したらいいのでしょう?」と私の質問に「ダブリューダブリューダブリュー、クルトマズアドットコム」と微笑みながら子供のようにお答えになったその顔は、ステージでの尊厳に溢れた雄姿とは違う暖かなお顔で、いまでもはっきり覚えています。
"脱サラ指揮者""音大を出ていない指揮者"と何かと「指揮者」の前に形容詞がついてしまう私ですが、NYで修行の場を与えられ、NYCOでの修行もついに7年目に入り、指揮者としてはかけがえのない経験をさせていただいています。この行き着く先にクルト・マズアさんのようなマエストロに自分がなれるのかな?と思うとまだまだ果てしない,指揮者としての修行のみならず、人間としての修行が必要なんだ、とあらためて"原点"を見つめ直した夜でもありました。
"音を出さない(出せない?)"演奏家、「指揮者」は、私が生活しているオペラハウスでも、リーダーシップや、人間としての大きさを常に求められる職業で、「4拍子」が指揮できることや、楽譜がわかることは、指揮者の仕事のうちの数パーセントに満たないと私は常々考えています。楽器や歌や"音を出す"演奏家たちのベストを引き出し、何かが生まれるその瞬間の創造に必要なことは、その時、場所、その曲、そのお客様、それぞれ違うことで共通の技術などないと私は信じています。それを自由自在に創造できる人間こそが指揮台にたち"マエストロ"と呼ばれるにふさわしい価値の人間となるのです。
修行中の私が生意気なことを書き立て恐縮ですが、総領事公邸でのパーティーでお客様の心に伝わったもの、そして何より私の心に伝わったものは、マエストロと素晴らしい歌手でいらっしゃる奥様の共演という以上の"大切な演奏家の原点"を、あらためて教えていただきました。
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