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「センボ・スギハラ」公演

2004年10月25日



 10月21日から24日まで、ニューヨーク市内のハンターカレッジで、劇団銅鑼(どら)による「センポ・スギハラ」が上演され、在留邦人を含む多くのニューヨークの人々が観劇しました。劇団銅鑼は、「センポ・スギハラ」を12年間に亘り、800回以上も公演しています。NYでの公演はこれが2回目ですが、リトアニア、ポーランド及び韓国での海外公演も行ったことがあります。

 劇のタイトルにもなっている杉原千畝氏(すぎはら ちうねが正確な読み方です)は、1939年7月から1940年8月まで、第二次世界大戦が始まる直前から在リトアニア日本領事館で副領事として勤務していた日本の外交官です。杉原氏は、1939年9月にナチス・ドイツに侵略されたポーランドから迫害を恐れてリトアニアに逃げてきたユダヤ人に日本の通過ビザ(transit visa)を発給しました。そのビザ(査証)のおかげで、ユダヤ人はシベリア鉄道に乗ってソビエト連邦を横断し、日本を経由して第三国(アメリカなど)に逃れることが出来ました。その数は、6000人に上ります。

 ビザの発給に当たり、杉原氏は大変苦悩しました。なぜなら、日本の外務省は最終目的地のビザが無いことなどを理由に、日本の通過ビザの発給を許可しなかったからです。しかし、杉原氏は、自らの責任で、人道的な立場からビザ発給を決断しました。更に、リトアニアを併合したソビエト連邦から杉原氏に対して在リトアニア日本領事館からの退去命令が出たため、ホテルに移動しましたが、移動先のホテルでもビザを発給し続けました。結局、杉原氏は、帰国後、外務省の指示に従わなかったことを理由に依願退職を迫られますが、杉原氏がユダヤ人に発給したビザは「命のビザ」と呼ばれ、勇気ある人道的な行為として後生に語り継がれています。

 最終日の公演後、劇団銅鑼の出演者とニューヨークにお住まいのユダヤ人の方々を日本総領事公邸にお招きし、親交を深めて頂きました。出席されたユダヤ人の中には、杉原氏から実際にビザを発給され、アメリカまでたどり着いたマーシャ・レオンさんもいらっしゃいました。マーシャ・レオンさんは、今後も杉原氏の功績を称えるべく、是非公演を続けて欲しいと希望されていました。

 
杉原氏が発給した「命のビザ」
 
  実物のビザに見入る劇団員
 
 
実際にビザを発給された
M. レオンさん(中央)
  記念の公演ポスターを
受け取る安藤大使
 
(c) Consulate-General of Japan in New York
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